こぞのの田んぼについては、江戸時代の各年代のそれぞれの資料に記載があり、そこには次のように記載されています。

正保年間(1644~1647年) 石高 小園村87石
元禄年間(1688~1704年) 石高 上小園村64石 下小園村71石 計135石
天保年間(1831~1845年) 石高 上小園村64石 下小園村71石 計135石

このように小園田んぼは、遠く江戸時代初期、あるいはそれ以前より耕作されてきた可能性もある歴史のある田んぼです。

その時代からほとんど姿を変えることなく利用続けてきた小園たんぼも、社会情勢の変化から、昭和57年に基盤整備事業を施し、ほ場を道路・水路を含めて効率的な形状に改め、同時にトラクター、コンバインなどの大型機械を導入し、また経営面においては各戸別の経営から集団経営とするため小園営農組合を立ち上げ、当時としては近代的な農業集団となりました。

さらに、時代も変わり、米作りを取り巻く環境も大きく変わってきた平成30年。それまでの任意団体としての営農組合の形態を一歩進め、農事組合法人という法人格を取得し、さらなる組織の盤石化と合理的な営農を目指し再出発することとなりました。